同居する兄の顔を金属バットで殴ったとして、兵庫県警尼崎北署は17日、殺人未遂の疑いで、尼崎市南塚口町、無職、望月建二容疑者(49)を現行犯逮捕した。
尼崎北署によると、殴られた兄(52)は顔面骨折などの重傷。望月容疑者は「仕事を探せと言われて口論になり、カッとなって殴った」と話し、殺意は否認している。
逮捕容疑は17日午前10時ごろ、自宅で兄の顔を金属バットで殴ったとしている。望月容疑者が自ら110番通報した。
産経新聞 2018.11.17 14:51
https://www.sankei.com/smp/affairs/news/181117/afr1811170010-s1.html
カテゴリ:国内 > 近畿
【奈良】生駒市:駅のホームを歩いていた女性をいきなり突き落とした無職の男(28)を逮捕
2018年11月15日 21時40分
共同通信
15日午後5時10分ごろ、奈良県生駒市の近鉄生駒駅で、ホームを歩いていた同市の女性(53)が線路に突き落とされた。生駒署によると、駅員が電車を緊急停止させたが、女性は腰を打ち軽傷を負った。生駒署は殺人未遂の疑いで、生駒市の無職の男(28)を現行犯逮捕した。
逮捕容疑は、生駒駅のホームを歩いていた女性の肩付近を両手で突き飛ばして線路に転落させ、電車にひかせて殺害しようとした疑い。
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/15601851/
【大阪】不良集団:「半グレ」4団体トップ逮捕 グループの中には中学生も!? 大阪で摘発強化
大阪府警が、暴力団組織に属さない「半グレ」と呼ばれる不良集団の摘発を強化している。少なくとも4団体のリーダー格を10月までに逮捕。暴力団が半グレを隠れみのにしているとの指摘もあり、府警は一部の団体を「準暴力団」と認定している。中学生が所属する団体もあるとされ、府警は実態解明を進めている。
(出典 news.nicovideo.jp)
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【兵庫】神戸市でイノシシに突進され警官がケガ 神戸で“イノシシ遭遇”は珍しくない?
神戸市灘区の路上で、巡回に当たっていた兵庫県警灘署の巡査長(49)がイノシシに突進され、右脚に軽傷を負うという事件が起きた。報道によると5日午後3時前、巡査長は住宅街で路上を歩いている成獣のイノシシを発見。徒歩で後を追ったが、突如イノシシが方向転換し、向かってきたという。イノシシは山の方向に逃げていったとのことだ。
この事件に対し、ネットユーザーからは「神戸でイノシシが出るのは日常だから」「灘区は特に多い」といった意見が見られた。神戸でイノシシと遭遇することが「日常的」というのは、真実なのだろうか。神戸生まれ神戸育ちの男性に話を聞いた。
「イノシシとの遭遇は日常ですね。学生時代から、学校にイノシシが出現したなんていうことはザラにありました。『イノシシ出没注意』という看板があるぐらいですし。自分もイノシシと実際に遭遇したことがありますよ」。驚いてしまうが、この意見を裏付けるデータがあった。神戸市によると、出没エリアとして特に知られている東灘区では、イノシシ関連で2016年4〜8月に住民から受けた問い合わせは63件もあったという。
イノシシと遭遇し、襲われる事件は兵庫県以外でも起こっている。栃木県では10月29日午前、足利市巴町の住宅の庭で66歳の男性がイノシシに襲われ、尻や左手などをかまれる被害に遭った。男性は左手の親指を粉砕骨折する重傷を負った。同市中心部を流れる渡良瀬川ではイノシシが相次いで出没しているとのことだ。
警察が「イノシシに注意を」と呼びかけている地域は多い。今回の事件が起きた兵庫県警灘署では、イノシシに遭遇した際は刺激せずにその場を離れ、警察や市の鳥獣相談ダイヤルに通報してほしいとしている。これはどの地域でも同様。イノシシと遭遇しても、近づかずに相談窓口に通報するよう呼びかけている。
イノシシに遭遇するのが地域によっては日常的であるということは事実のようだ。イノシシに遭遇した際には個人で対処しようとせずに、専門家に任せることが大切なのは間違いないだろう。
文/大久保 舞
(出典 news.nicovideo.jp)
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【宝塚】「贔屓は人生の灯台」オタク女が精神と肉体の健康を得るまで
宝塚にハマるとやばいらしい。
長年オタクをやっていれば幾度となく耳にするうわさだ。腐女子生まれバンギャル育ち。オタクなやつ大体友達。そんなわたしが初めて宝塚を観たのは4年前。普通に楽しかったけれど、ウワサほどハマりもしなかった。
それなのに今、宝塚に命を燃やす覚悟を決めている。
●オタク女、その日運命に出会う
2018年1月、宝塚歌劇で『ポーの一族』が上演されることになった。「少女漫画の神様」とも評せられる萩尾望都先生の傑作を日本ミュージカル界きってのヒットメーカー小池修一郎先生が手掛けるという。何より発表されたポスターの美しさ! どう考えても観たい。周囲のヅカオタを頼り、運よくチケットを手に入れたわたしは宝塚大劇場へ向かった。
舞台は19世紀イギリスの古い港町。少年の姿のまま永遠の時を生きる主人公エドガーを中心に物語は展開する。エドガーの妹メリーベル、二人の親代わりであるポーツネル男爵と妻シーラ。みな若くうつくしい姿であるが実際は不老不死のバンパネラ、人間のエナジーを糧に生きる「ポーの一族」である。
男爵夫妻はその町で出会ったクリフォードという医師に目を付ける。ハンサムで知性的。恩師の一人娘との婚約も決まり、将来を約束される一方で結婚と恋愛を別物と割り切り、町中の女たちから寵愛を受ける色男だ。そんな彼を一族に迎えようとシーラ夫人が妖しくもうつくしく誘惑する。シーラの洗練された魅力に惹かれていったクリフォード医師は後に物語全体に大きな影響を与える重要な役どころである一方、あくまで大勢の登場人物の一人にすぎない。
そんな彼をわたしはなんとなく目で追うようになった。色男役が似合っていてすてきだった。それだけの理由だ。
最初は偶然だと思った。エドガーを主体としてストーリーが展開される背景で、群衆の一員であるはずのクリフォードの視線が常にシーラを追っていた。会話するでもなく同じ空間にいるだけなのに広い舞台の端からでもずっと彼女を見つめている。次第に勘違いではないと知った。それは、好きだから見てしまう、無意識に追いかけてしまうというような、じっとりと熱が膿んで青臭くそれでいて堪らない色香に満ちたお芝居だった。
こんな恋の表現があるのか。雷が落ちた。気付いたらもう彼しか見えていなかった。烈火のごとき恋の視線に灼き尽くされてしまったのだ。
●わたしだけの「0番」
「かっこいい人がいた」
あと、脚がめちゃくちゃ長かった。終演後、ぽろりと漏らした声に周囲のヅカオタの追い込みが始まる。
「それは男役の鳳月杏さんですね」
「愛称は『ちなつさん』です」
「過去のオススメ公演の映像詰め合わせて送ります」
「ファンクラブいつ入会しますか?」
明らかにやばい。ここで落ちたら人生が狂う。ウワサ通りじゃないか。いや、あの役が好きなだけでまだそういうんじゃないです。そう言ってどうにかこうにかやり過ごした。
とはいえ、本当はずっと気になっていて何度も劇場に足を運んだ。次第に彼という役が好きなのか、彼を演じる彼女自身に惹かれているのかが分からなくなっていた。
そんなとき「お茶会」と呼ばれるイベントを知った。宝塚に所属する生徒さん自身からお話を聴くことができるファンミーティングのような催しだ。これだ! と思った。
「次の公演でお茶会行ってきます」
そして、わたしは帰らぬ人となった。役という上着を脱いだ彼女は男役という光り輝く衣を纏っていた。語られる言葉はどれも真摯で胸を打つ。好きでしょ。好きに決まってんじゃん。好き以外ない。大好き。タカラジェンヌに舞台とか日常とか関係ない。清く正しく美しく、呼吸する美学なのだと理解した後、舞台に立つ推しを観たら眩しくて泣いた。いや、もう推しじゃない。ヅカオタ用語を借りて「贔屓(ひいき)」と呼ぼう。
眩いライトに照らされた舞台には何十人もの美しい人達がいる。それなのにわたしの目にはたった1人しか見えていなかった。解像度が上がって完全にピントが合う。わたしの世界の中心がこの人だって分かってしまった。
平成最後の夏、こうしてわたしは自分だけの「0番」を見つけたのだ。
●オタク女、肉体と精神の健康を得る
正気はなくしてからが本番。長年培ったオタクの行動力はどの現場でも生きる。ジェットコースターみたいな勢いで追いかけ始めた数カ月で自分自身大きく変わった。
まず、健康になった。宝塚はオタクへの福利厚生が行き届いている。年間通して東西2つの専用劇場で公演を回し、専用チャンネル、専用月刊誌、次々とグッズも発売される。その他にも全国公演やイベントがあったりと体調を崩している暇はない。
次に美意識が上がった。観劇中やお茶会などタカラジェンヌといううつくしい人の瞳に自分が映る可能性があるからだ。あんな風になるのは不可能とはいえ、せめて贔屓に恥ずかしくない自分でいたい。贔屓への思いを自覚して早4カ月、10キロ痩せた。肌の調子もいい。
そして、精神がハチャメチャ健やかになった。好きなひとが生きているということは毎日が新規絵。供給にあふれており、常に半端ない多幸感に包まれている。何より人間としてめちゃくちゃ尊敬できる人を推せるのだ。日々たゆまぬ努力を積み重ねる姿に感動する。精神的ロールモデルとでも言えばよいのだろうか。あんな素晴らしい人を応援するなら自分も最高に近づく努力をしよう。素直にそう思えるようになった。
●好きなひとの生きる世界はうつくしい
贔屓は灯台だ。人生という荒波に飲まれそうになって、もうどうしたらいいか分からない――そんなときに、雨の日も風の日も芸の道に生きる大好きな人が、絶対に見失わない光として照らしてくれる。
こんな気持ちを教えてくれた宝塚に、贔屓に、そして宝塚という文化に関わる全ての方々に感謝している。ド新規が言うのもなんだが厳しい世界だ。音楽学校へ入学することすら狭き門であり、トップになるのは一握り。早い段階で退団される方もたくさんいる。
そんな中、現役で活躍する方を応援できるのは運が良い。長年続けてきてくれたご本人の努力は勿論、それを支えた方々がいたから贔屓に出会えた。古参ファンがいなければ新規ファンも生まれない。たくさんの愛がわたしたちを巡り合わせてくれた。
続く、というのは当たり前ではない。あの灯りが消える日だっていつかは必ずやってくる。宝塚の男役としての贔屓にもう二度と会えないなんて考えるだけで涙が出る。もっと通えばよかった、もっと好きだと伝えればよかった、あのとき、もっと、もっと……。そんなの絶対言いたくない。
だからこそ、今を全力で愛したい。現場に通う、グッズを買う、手紙を書く、できることは全部やろう。当たり前の現場なんてひとつもない。好きなひとと同じ時代を生き、こうして応援できること自体が奇跡なのだ。
わたしにできることの中で最もシンプルに役立つのは、お金を払うことだ。
自分で稼いだお金が、姿を変えてあのひとの役に立てるのがうれしい。仕事がしんどい瞬間でも、「今稼いでるのはちなつさんのためのお金なんだ」と思うと、頑張る気力が湧いてくる。働いていて自由なお金があるからこそ、宝塚が観られると思うと仕事に感謝し、やる気につながる好循環。頑張って稼いだお金を湯水のように贔屓に注ぐカタルシスの半端なさ、サイコー!
お金を使うことの見返りは、贔屓がタカラジェンヌとして存在してくれることそのものだ。払っても払っても払い足りないし、こんなにもしあわせにしてもらったお礼なのに額が少なくて申し訳ないけど、自分にできるベストを尽くすしかない。
「見返りもないのにそんなにお金と労力使ってバカみたい」と言う人もいるだろう。燃え尽きた先には鉛の心臓すら残らないかもしれない。それでも、贔屓という魂なしには生きられない。こんなにも感情を揺り動かしてくれる存在に出会えた人生は幸せに決まっている。だから、今日もわたしは宝塚へ通う。
(出典 news.nicovideo.jp)
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